母なる大地よアーーーー

こんにちは。

 

最近テレフォン人生相談を聴くのにハマってる。内容はいろいろあるけれど、共感できるものばかり聴いている。生い立ちは違うけど、今相談者が感じてる気持ちは今の自分と同じだなって思い、振り返るような気持ちで聴く。

相談者にイライラする感じもするし、共感することもあるしで耳と心が揺さぶられて、聴いてると疲れるけど、どうしても僕が求めて聴いてしまう。

そんでいろいろ聴いたのを思い出して、自分のことを整理してみた。

 

僕の今の悩みは、家族といても友達といても楽しくないこと。まず最初にさみしいと思った。誰といても孤独感が抜けない。そのさみしさの原因の多くを占めてるのが、今までに恋人がいたことがないっていう劣等感だと思う。

昨日友達と2人で飲みにいったんだけど、相手の今の恋愛状況を聞いたりして、辟易してしまう。心は、なんで僕だけ異性との接点がないんだろうっていう惨めな気持ちになるんです。

上辺では関心を装うけど、でももういい歳だからバレてるだろうな。

ありがたいことに、友達は事実を話しただけで、なんとなく僕がふてない絶妙なラインを保ってくれてたように思う。

 

そんなわけで、僕は人間関係が乏しくて、特に異性がらみの人間関係のなさを友人を比べて、劣等感を抱いてる。

 

じゃあ、なんでそれが辛いのかという話。

僕は女の人に認められるためにエネルギーを消耗きてきた。太ってたのを痩せるために走って、無理に借金つくって資格学校通って、似合いもしないような服を着て、お金を稼ごうと努力して。

そんなことを続けていたのは、行動の動機全ては女の人に認められるため。

 

そしていよいよその努力は何をやっても報われないと感じて、自分に対する期待はなくなり、男としての価値はなく、あとは死に向かって細々と辛い毎日を生きていくという覚悟をしようとしていて、外見もなげやりになり、いろんなことがどうでもよくて、自暴自棄といっても過言はないと思う。なんなら苦しみが続くなら早く死ねばいいとさえ思う。

正直今生きるのに精一杯で、休みの日もいつだって疲れてる。エネルギーは常に失われている。きっとそれは異性に好かれるために毎分毎秒徒労を重ねてるからだと思う。

 

じゃあなぜそこまで異性に対してそういう風にしなければならないと思うのか、という話。

テレフォン人生相談によると、幼少期に母親との関係でそうなってしまったんだろうということ。母親とは子供にとって最初の女性で、その時に起きたことから自分がその時に学習したことを真実として、ほかの女性もそういう目でみてしまうという風に解釈してる。

極論をいうと、女≒母という風な世界観。

僕が今努力だと思ってしていることは、母が好むことである。

母は、外見がよくて、成績が良くて、お金を稼いで、言うことをきいて、若くて、友達が多い時に僕を誇りに思ってくれたように感じた。僕は母の目を惹きたくて、それを全部得ようとして、努力を続けてきた。僕はずっと母に認められたくて頑張ってきた。でももう母の望むようになることは無理だと感じてることがわかった。

そして僕は母に対してなにを求めてたのか。

褒めて欲しかった、誇りに思って欲しかった、家族で誰よりも優れてることを認めて欲しかった。僕は他の家族と違ってこんなに期待に応えてきたという風に賞賛して欲しかった。

太っててもこれがある、勉強できなくてもこれがある、友達いなくてもこれがある、そんな風に今は言って欲しかったんじゃないのかって思う。これがある、というより、生きてればそれでいいって思わせてほしかった。

もしかしたら母はそう思ってるかもしれず、僕が母親に多くを求めてたのかもしれない。無限に、誰よりも愛されたかったのかもしれない。

 

そんで僕は今後どう生きていけばいいのかということになる。

家族の期待を断ち切りたいのか、別の形で母親に認めてもらうのか、見返して後悔させてやるのかなんなのか。

 

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少し落ち着いたかも。

もう少しだ、頑張れ俺よ