コントラストがきれいだから 逆に凸凹でいい
こんばんは。
今日はわけもないこともないけど、やすみなのにすごく疲れてしまった。
資格学校に行きたくないのに無理やりいって、全然頭入らなくって、態度には出ないものの内面は大荒れだった。
しかもそんな日に限って嫌なこと続き。
こんなことあるんかってくらいに。
明日の仕事5時30分出社の通知電話かかってくる
資格学校の講師がいい加減
車のバッテリー落ちる
最悪な日だった。気分も落ち込みまくりで、自分はこんなことで大丈夫なのかと考えまくった。というか不出来な自分に憤りを覚えた。
悪い癖だよこれは。
前に書いたおじいちゃんへの先入観もあるけどさ、観念っていう色眼鏡が僕を縛り付けまくってる気がする。たまに非現実的な壊滅的妄想に囚われて嗚咽するときがあるけど、普通に考えたらこうでしょって楽に考えないと持たないんじゃないかって思うんだ…。
執着や思い込みには気をつけよう。
病んでしまった時の僕は、加藤諦三さんの言葉を借りると、欠乏感に苛まれてるらしい。
欠乏感ってのは
こんなかんじ。理想を求めるあまり、かけてる部分が気になって仕方なくなるの。食べられるところはまだあるのに。
配達されたピザが配達員にかじられて、
俺のピザは一生ないなんで?って問い詰める。
半分水の入ったコップをみて、あと半分しかないと思う。
それが欠乏感からくる神経症らしい。
劣等感とでもいおうか。必要だと思うのに、足りなくて、自分には価値がないと思う状態。
その見方を変える時期に来たのかも知んない。
自分を客観的にみるべきなのかも。
今の自分の見方はすごくストイック。神になろうかとでもいうような理想を掲げて、お前にはあれが足りない、これもない、あれもない、出来損ないめ!!
そんなことを自分に言い聞かせるほどに。だから今日バッテリー上がってた時はひどいもんさ。なんでそんなことするんだ馬鹿たれ、と自分を責めたもの。
でも客観的にみたら、そんな完璧を求めるのってしんどいよって思う。すべてを投げ打ってまでなれるわけないものになろうなんてどうかしてる。
自分の感覚を信じていきたい。
それと気付いたら惰性でインターネット開いてるクセがある。それ自体は別ないんだけど、なんのためにそんなことするの?楽しい?って思うことある。一時の現実逃避。
そういうのやめて今の自分と向き合っていこうね。
おやすみ。雪が降り出したから気をつけてねぇ