覚えてないこともたくさんあっただろう

こんばんは。

 

今日2回目の投稿になります。

 

テレフォン人生相談で面白い相談者がいて、なんとなく勇気がもらえたことの話。

その相談者はすごく理不尽で壮絶な過去を送ってて、にもかかわらずものすごく前向きな人だった。23歳の女の人。16歳からほぼ1人で生きてて、両親の離婚や、肩身の狭い思いをしても、自分を失うことなく前向きに生きてた。

ないお金もやりくりして、行きたかったというイタリアに行き、日本の2人娘をもつ家族と出会って、それが楽しくて、日本に帰ってからも遊びに行った事があったんだとか。

心揺さぶられて、かっこいいなって思わされた。他の相談者にないような理不尽な目にあっておきながら人のせいにするわけでもなく、同情を乞うわけでもなく、ただその家族とのコミュニケーションをどう深めていけるかって趣旨の相談だった。

生きるってこういうことなんじゃないかって思った。

弱さを認めた強さっていうのがどういうものかっていうのをみせてもらった。弱いのは恥ずかしいことじゃないし、声が震えるのは恥ずかしいことじゃない。虚勢を張って生きることのほうがもっと恥ずかしい。

この人は自分の置かれてる状況や立場がよくわかってる。受け入れがたい現実なのに。

 

僕は現実を見る事が苦手。それが良い悪いじゃなくて、じゃあどうすればいいかって、今そこにあるものに目を向けるべきだよね。

ずっと自分を見失ってたんだ。感じることを受けとめて、素直な心で、虚勢を張らずに生きていけたらと思う。

 

そんなこんなで、心の充電を試みた。

僕は歌うと気持ちよくなる事がわかった。

車で熱唱した。

音程が合う事が気持ちいい。上手く歌えると音楽と1つになったような感じがする。

深呼吸すると、眠くなるような安心感に包まれるような気持ちがする。

歌を歌うと、それに加えて脳にミントスプレーでもかけられたかのような気持ち良さが起こる。

これは誰がなんと言おうと僕の感じる事実ってことなんだ。

感じたことを信じよう。

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おやすみ。

母なる大地よアーーーー

こんにちは。

 

最近テレフォン人生相談を聴くのにハマってる。内容はいろいろあるけれど、共感できるものばかり聴いている。生い立ちは違うけど、今相談者が感じてる気持ちは今の自分と同じだなって思い、振り返るような気持ちで聴く。

相談者にイライラする感じもするし、共感することもあるしで耳と心が揺さぶられて、聴いてると疲れるけど、どうしても僕が求めて聴いてしまう。

そんでいろいろ聴いたのを思い出して、自分のことを整理してみた。

 

僕の今の悩みは、家族といても友達といても楽しくないこと。まず最初にさみしいと思った。誰といても孤独感が抜けない。そのさみしさの原因の多くを占めてるのが、今までに恋人がいたことがないっていう劣等感だと思う。

昨日友達と2人で飲みにいったんだけど、相手の今の恋愛状況を聞いたりして、辟易してしまう。心は、なんで僕だけ異性との接点がないんだろうっていう惨めな気持ちになるんです。

上辺では関心を装うけど、でももういい歳だからバレてるだろうな。

ありがたいことに、友達は事実を話しただけで、なんとなく僕がふてない絶妙なラインを保ってくれてたように思う。

 

そんなわけで、僕は人間関係が乏しくて、特に異性がらみの人間関係のなさを友人を比べて、劣等感を抱いてる。

 

じゃあ、なんでそれが辛いのかという話。

僕は女の人に認められるためにエネルギーを消耗きてきた。太ってたのを痩せるために走って、無理に借金つくって資格学校通って、似合いもしないような服を着て、お金を稼ごうと努力して。

そんなことを続けていたのは、行動の動機全ては女の人に認められるため。

 

そしていよいよその努力は何をやっても報われないと感じて、自分に対する期待はなくなり、男としての価値はなく、あとは死に向かって細々と辛い毎日を生きていくという覚悟をしようとしていて、外見もなげやりになり、いろんなことがどうでもよくて、自暴自棄といっても過言はないと思う。なんなら苦しみが続くなら早く死ねばいいとさえ思う。

正直今生きるのに精一杯で、休みの日もいつだって疲れてる。エネルギーは常に失われている。きっとそれは異性に好かれるために毎分毎秒徒労を重ねてるからだと思う。

 

じゃあなぜそこまで異性に対してそういう風にしなければならないと思うのか、という話。

テレフォン人生相談によると、幼少期に母親との関係でそうなってしまったんだろうということ。母親とは子供にとって最初の女性で、その時に起きたことから自分がその時に学習したことを真実として、ほかの女性もそういう目でみてしまうという風に解釈してる。

極論をいうと、女≒母という風な世界観。

僕が今努力だと思ってしていることは、母が好むことである。

母は、外見がよくて、成績が良くて、お金を稼いで、言うことをきいて、若くて、友達が多い時に僕を誇りに思ってくれたように感じた。僕は母の目を惹きたくて、それを全部得ようとして、努力を続けてきた。僕はずっと母に認められたくて頑張ってきた。でももう母の望むようになることは無理だと感じてることがわかった。

そして僕は母に対してなにを求めてたのか。

褒めて欲しかった、誇りに思って欲しかった、家族で誰よりも優れてることを認めて欲しかった。僕は他の家族と違ってこんなに期待に応えてきたという風に賞賛して欲しかった。

太っててもこれがある、勉強できなくてもこれがある、友達いなくてもこれがある、そんな風に今は言って欲しかったんじゃないのかって思う。これがある、というより、生きてればそれでいいって思わせてほしかった。

もしかしたら母はそう思ってるかもしれず、僕が母親に多くを求めてたのかもしれない。無限に、誰よりも愛されたかったのかもしれない。

 

そんで僕は今後どう生きていけばいいのかということになる。

家族の期待を断ち切りたいのか、別の形で母親に認めてもらうのか、見返して後悔させてやるのかなんなのか。

 

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少し落ち着いたかも。

もう少しだ、頑張れ俺よ

カメムシのばかぁ

こんばんは

 

今日は仕事しんどかった。仕事なくてしんどいという今までには考えられないパターン。

今の現場は建方という工程に入ってる。基礎が終わって柱や梁を組み立てていくお仕事なのさ。まぁ暇で暇で動かないから寒かった。

 

作業のイメージとして、

基礎はマンモス一頭を布切れ一枚の男たちが群れになって狩るのだとしたら、

建方は鹿やイノシシやウサギをそれぞれが狩るような感じ。

要は分業制なのだ。そしてそれぞれの動物の担当者が1人ずついるわけだけども、これからどんな原始人になるかわからん僕が懇切丁寧に教えてもらえるわけがないのだ。

これは仕方のないことなのだ。

ほんで仕事もらったとしても、僕の脳筋が発揮されてしまうわけなのだ。鹿やイノシシは脳筋じゃ逃げられるのだ。わりとテクニックの要るというか、繊細さが要るというのか、1つ1つの動作にある程度の精度が求められるので、

脳筋特有の「食えたらええやろ」は通用しないので、神経をつかうのである。あと経験と知恵が必要。

 

自分で書いてて比喩が的確だと思ったけど、比喩しかない中わかってもらえるんだろうか。

要はなすすべなしというわけですよ。

またしても風邪ひきそうですよ。

 

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そんで仕事終わりに考えをまとめるためお気に入りの喫茶店に行った。

ニート期によく通った店で、夕方になると誰もいないことがわかった。

最近思うことは、使う時間に対して目標を定めるということ。ただより怖いものはないっていうけど、今ネットさえ繋がってれば、ただ同然でできることってたくさんある。覚えもしないような記事よんだり動画見たり。それって冷静になるとつまらないものもたくさんあることに最近気づいて、それに時間をさくって地獄のループじゃないかと思った。それならなんとなくはやめて、先のこと考えて目的もつとか、素直におもしろいものに時間割いたらどうなのとか思ってみたりする。

そんなことをかっこつけてノートに書いてると、僕の背中でブーーーンと羽音がしよった。

間違いなくカメムシです。

平成最後の霜月に、ガムテープ片手に鳥肌を全身にまとって何百と倒したのは記憶に新しい。この羽音は間違いなくカメムシです。

焦った僕は着ていたパーカーをこっそり脱ぐしかなかった。誰もいなかったのが幸いしたけど、テンパり様がものすごくダサい!

結局カメムシは見つからなくて、苦虫を噛み潰したような顔をして暖かいココアを飲みました。

 

そーいやさっき友達から電話あってね、露骨なリア充アピール聞かされた。ここでこっそり言わせてもらうけどなんでカップルの送り迎えせないかんねん。絶対断るわ。ワオが劣等感丸出しすることくらい長年の付き合いでわかるだろうが!!!

ワオかてリア充アピールしたいわ!!!

 

ん?リア充アピール代行…?

お、おやすみ(^_^)ノシ

コントラストがきれいだから 逆に凸凹でいい

こんばんは。

今日はわけもないこともないけど、やすみなのにすごく疲れてしまった。

 

資格学校に行きたくないのに無理やりいって、全然頭入らなくって、態度には出ないものの内面は大荒れだった。

しかもそんな日に限って嫌なこと続き。

こんなことあるんかってくらいに。

明日の仕事5時30分出社の通知電話かかってくる

資格学校の講師がいい加減

車のバッテリー落ちる

最悪な日だった。気分も落ち込みまくりで、自分はこんなことで大丈夫なのかと考えまくった。というか不出来な自分に憤りを覚えた。

悪い癖だよこれは。

前に書いたおじいちゃんへの先入観もあるけどさ、観念っていう色眼鏡が僕を縛り付けまくってる気がする。たまに非現実的な壊滅的妄想に囚われて嗚咽するときがあるけど、普通に考えたらこうでしょって楽に考えないと持たないんじゃないかって思うんだ…。

執着や思い込みには気をつけよう。

 

病んでしまった時の僕は、加藤諦三さんの言葉を借りると、欠乏感に苛まれてるらしい。

欠乏感ってのは

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こんなかんじ。理想を求めるあまり、かけてる部分が気になって仕方なくなるの。食べられるところはまだあるのに。

 

配達されたピザが配達員にかじられて、

俺のピザは一生ないなんで?って問い詰める。

 

半分水の入ったコップをみて、あと半分しかないと思う。

 

それが欠乏感からくる神経症らしい。

劣等感とでもいおうか。必要だと思うのに、足りなくて、自分には価値がないと思う状態。

 

その見方を変える時期に来たのかも知んない。

自分を客観的にみるべきなのかも。

今の自分の見方はすごくストイック。神になろうかとでもいうような理想を掲げて、お前にはあれが足りない、これもない、あれもない、出来損ないめ!!

そんなことを自分に言い聞かせるほどに。だから今日バッテリー上がってた時はひどいもんさ。なんでそんなことするんだ馬鹿たれ、と自分を責めたもの。

でも客観的にみたら、そんな完璧を求めるのってしんどいよって思う。すべてを投げ打ってまでなれるわけないものになろうなんてどうかしてる。

自分の感覚を信じていきたい。

 

それと気付いたら惰性でインターネット開いてるクセがある。それ自体は別ないんだけど、なんのためにそんなことするの?楽しい?って思うことある。一時の現実逃避。

そういうのやめて今の自分と向き合っていこうね。

 

おやすみ。雪が降り出したから気をつけてねぇ

 

コロ助「キテレツ、初雪ナリ」

こんばんは

 

今日仕事中初雪に遭いまして。

しかも初雪をしっかりと被りまして。

外仕事ならではでございましてよ。

 

今日はいつもより静かな作業だったから、ゆとりをもって仕事できた。

今日は悟り日記な気分です。

 

前大阪で勤めてた会社で言われてたんだけど、仕事中は仕事以外のこと考えんなって話。

社畜かよふざけんなって思ってたけど、仕事中別のこと考えてると、楽なようで逆にキツイのかもしれない。

僕は感じてることを抑圧して、別のことを考えることで、苦しみから逃れようとする癖があると思う。

そして感じてることを抑圧すると、大雑把に言えばその他のものに感情が転移するらしい。

疲れた、ムカつく→抑圧→あいつ何しとんねんムカつく

そうなると逃れてたはずの思考世界が崩壊する。あれもむかつく、あの時のあれむかつく、全部ムカつく。

 

こうなった。

 

そして仕事のしんどさを関係のない他人が与えてるように錯覚して、完全に八つ当たり状態になるのだ。

そんなこんなで仕事がしんどければ素直にしんどいと思えばいいのだ。

ほんで仕事に集中するのだ。

楽な方法を見つけるのだ。

腕をあげるのだ。

それの繰り返しなのだ。

 

あとね、その責任転嫁の波で、自分の中で外仕事というものを蔑視してたとこがあることに気づいた。本当に失礼な話だと思うけど。

いつからかなーって思ってたら、すごく小さい頃からだ。祖父が生きてたころから。

祖父は大工だったけど、僕の知ってる祖父は、酒を飲んで寝てわがまま言って怒鳴る迷惑な人だと思ってた。仕事してるとこ見たことないし。父は公務員で対照的な職業で、性格も祖父をひっくりかえしたような感じで、関係性を察してしまう。

僕はどことなく父の方が正しい存在なのだと思って育った。その影響からか、外仕事してる人は祖父の苦手なとこをもってる人が周りにいたように思う。

でも釣りや散歩やご飯やら、楽しいことは色々教えてもらったような気がしてて、そういうとこは好きだった。

話は逸れたけども、つまり外仕事に対するネガティヴな見方は、主観的な観念に過ぎないのでは、という仮説が、仕事中崩壊する思考の中で生まれた。

実際外仕事に集中して感じてみると楽しいことはけっこうある。働いてる人は陽気だし、体動かすと気持ちいいし、うまくいったときの快感もある。

外仕事がネガティヴなものだってことは必ずしもないということかもしれぬ。

観念を捨てて感じるままに生きることが今の僕のテーマだと思っています。

 

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コロ助かわいい。この前アニマックスでやってたの見たけど、コロ助はかわいい。仕草と表情がいちいちかわいい。

ドラえもんコロ助、どちらかが居候するならコロ助派になりました。ドラえもんも好きだけど。

 

おやすみナリ

パワープレイ基礎

こんばんは

 

今日はとても疲れた。

今日は出張なので、場末のビジネスホテルみたいなタイトルにしてみました。

建築現場って本当にハードです。今は基礎をやってる。基礎ってのは普段全貌をみることはないと思うけど、敷地に穴を掘ってコンクリート流してつくる土台みたいなもの。

で、今日はその土台の形をつくるために組み立てたコンクリートの型枠ってのを取り外す作業で、その型枠がけっこう重い。何枚もあるから何回も運ぶ。まともに持ち上げると腰痛めるから、足で持ち上げる、とか工夫しないと後々大変なことになるみたい。

続けてると、前できなかったことができるようになってることに感動することもある。筋肉的な意味で。

これがいまんとこのよろこび笑 基礎って建物だって感じしないから個人的には何とも言えないんだけど、ここしっかりしないといい家は建てられないもんね。でもやっぱひたすらマッスルな作業だと思う…高校以来の力こぶが帰ってきつつあります。

 

ある現場の人と話して思ったんだけどね、気づいたら自分の話ししてる人っているのよ。僕もそうなんだけど。その会話ってあまり楽しくないね…。お互いに楽しく話そうとするんだけど、全部自分の話になる。しかもその人はめっちゃくちゃ細かくて、自分の知ってることぜーーんぶ話そうとするの。たまに質問されて、○○行ったことある?って聞かれて答えるけど、答えに関係なく自分が行った時の話になる。楽しい会話したいけど、そこまで興味ないんだけどな、、って感じた。

でもそれ自分もよくあることでさぁ。今回初めてこんな風になるんだってわかった気がしました笑

関係あるのかな?その人も僕もB型です笑

 

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今日もドンキー3 にありそうな夕焼けの雪山。

 

明日も頑張ろうね。

おやすみなさい。

 

play GAME

こんばんは

 

今日1日休んでたから、部屋の掃除や資格の勉強してたんだけどさ、ふと賢いモードに入ってしまってね。

あれ、休めてないぞ。休むってなんだ…。

って感覚に襲われてしまったんだ。

 

今やってること。時間のあるうちに済ませとこうと思ってやること。これはやらなきゃいけないことをやってる。そんで、他にやることないからやることを早めに終わらせようとしてる。そんで無理して疲れる。

 

なにこれ??

 

休みってもう少し楽しいとか、回復するとかそういうものじゃないの??

僕のやってることっていつだって全部やらなきゃいけないこと。そりゃ夢あるし、生きていくために必要なこともあるけど、なんか違わない?

 

たとえば趣味や遊びの時間ってのは、夢に向かうより別の考えで、たとえばやってみたいことやってみたり、責任の範疇で好きなことやってみたり。そういうものだと思うんだけど…。

だからさ、いま何でもしていいって言われると困るんじゃないかって。それじゃ退屈じゃんって思った本日。

何のためでもなく、ただやりたいから人に迷惑かけないレベルでなにやってもいい時は、失敗もくそもない遊びなんじゃないかって思う。

思えばそういう時間はここ10年ほどなかった気がする。できればゲームやめてさ、身体動かしてやれそうなこと探してみようよね。

 

あと、作業しながらゾンビランドサガってアニメ見始めたんだけど、なかなか面白い!

展開が読めないし、一話が濃いし絵も綺麗だしキャラも立ってる。新しいアニメを食わず嫌いしてたけど、やっぱおもしれーのはおもしれーのね。ちなみにニコニコストアで月500円未満で1話から最新話までみえるからそれおすすめだよ!

 

そろそろ雪マークついてきたね。

僕ドンキー3の雪山のステージが好きだったんだ。

いつか雪山も登ってみたいな。

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おやすみなさい